戦後の食糧難に対応した漬物製造
持田漬物店には現在、2つの事業の柱がある。1つは社名が示す通り漬物の製造で、野沢菜やショウガを塩漬けにしたり、塩漬けにした大根を仕入れてカットしたりした後、袋詰めなどをする最終加工業者に販売している。
もう1つは農業。約8ヘクタールの畑で、野沢菜やショウガ、ブロッコリーなどを栽培し、漬物の原料にしたり、農協に出荷したりしている。
漬物の製造を始めたのは祖父の代。もともと養蚕や野菜の栽培などを手がけていたが、終戦から間もない時期に大根を原料にして漬物をつくり始めた。
当時は食糧難の時代。漬物は保存がきく食料として重宝され、売り上げが順調に拡大した。事業を徐々に漬物に絞り、原料は仕入れて確保した。所有していた畑は他の農家に貸した。持田さんの父親も漬物業に専念した。

持田漬物店の工場の様子
持田さんが農業を始めたのは15年ほど前。漬物の仕事をする傍らで、祖母が野菜を育てていた10アールの畑を使い、まずキュウリを栽培し始めた。その後は周囲の農家から畑を借りる形で農場を広げ、栽培品目を増やしていった。
野菜の栽培を始めた当初、持田漬物店の売り上げに占める野菜の比率は1割に満たなかった。ところが面積が拡大するのに伴い、野菜の販売量が増えて、いまや6割と本業だった漬物の売り上げを上回るほどになった。
漬物の需要減退で軸足を農業に
なぜ持田さんは農業を始めたのだろうか。その点について質問すると、「以前と比べて農家の数が減ってしまったから」という答えが返ってきた。他の地域と同様、深谷市でも高齢化で農家の引退が加速し始めたからだ。
原料を自社でまかなおうとしたわけではない。背景にあったのは、 More…