【プロフィール】
■佐々木博規さん
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佐々木製茶株式会社取締役 1993年生まれ、静岡県出身。社長を務めた祖父、現社長の父の背中を見て、幼少期から「いつか自分もお茶屋になる」と考えていた。早稲田大学卒業後、東京、福岡で経営コンサルティング企業に8年勤務。30歳となった2023年、「本当に美味しい日本のお茶を世界に広めたい」という思いで、佐々木製茶へ入社。 |
■岩佐大輝さん
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株式会社GRA代表取締役CEO 1977年、宮城県山元町生まれ。大学在学中に起業し、日本及び海外で複数の法人のトップを務める。2011年の東日本大震災後に、大きな被害を受けた故郷山元町の復興を目的にGRAを設立。著書は『99%の絶望の中に「1%のチャンス」は実る』(ダイヤモンド社)ほか。 |
■横山拓哉
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株式会社マイナビ 地域活性CSV事業部 事業部長 北海道出身。国内外大手300社以上への採用支援、地域創生事業部門などで企画・サービスの立ち上げを経験。2023年4月より同事業部長就任。「農家をもっと豊かに」をテーマに、全国の農家の声に耳を傾け、奔走中。 |
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創業100年超、自園自製の佐々木製茶
横山:岩佐さん、今日は静岡県の掛川市ですね。
岩佐:一面の茶畑の向こうには富士山が見える最高の場所ですね。今日は佐々木製茶の次期社長の佐々木博規さんにお話をうかがいます。あるカンファレンスで会ってビジネスモデルを聞くと、見事にお茶の垂直統合、6次産業化を完成されていると。
佐々木:佐々木製茶は、私の曾祖父の佐々木平吉(ささき・へいきち)が1921(大正10)年に始めました。米農家だった曾祖父は、米騒動の影響で相場が不安定だった29歳のときに、米から国が推奨していた「お茶か養蚕(ようさん)」のどちらかに挑戦しようと考えました。そこで妻である曾祖母に聞いたところ「私は虫が嫌いだから、お茶にして」と言われたみたいですね(笑)
岩佐:当時の、まさにベンチャーですよね。

佐々木製茶の茶畑を背景にお話を伺う。
佐々木:最初は自宅の庭の茶畑で摘んだものを、自宅の横に建てた小さい工場で自分が作った分のお茶だけを作っていくという「自園自製」のモデルでやっていたようです。お茶作りのノウハウは近所の農家さんから学んだようです。弊社の屋号「かねじょう」は、帯金(おびかね)さんというその農家さんのお名前と、事業を行っている掛川市の上内田(かみうちだ)の地名から、それぞれへの感謝を込め1字ずついただいたものです。
岩佐:当時はどこに出荷していたのでしょうか。
佐々木:一次加工品である荒茶の見本を、営業代行してくれる会社さんに持っていただき、関東のお茶問屋さんを中心に売り歩いてもらいました。
農家と共に地域と茶業を盛り上げる
岩佐:創業からの今日に至るまでは、どのような変遷がありましたか。
佐々木:大きいのは、やはり第二次世界大戦、太平洋戦争だったと思いますね。1943(昭和18)年に、お茶を作るために必要な物資や燃料、また兵役で人手が取られてしまいました。事業継続が難しくなると考えた曾祖父は「近隣の農家さんと一緒に協同工場 を作り、協力したほうが、個人農家よりもメリットがあるのでは」と、周囲に声をかけたそうです。結果、150人の農家さんが集まり、作ったのが「かねじょう製茶協同組合」です。
佐々木:弊社はお茶の製造事業者や問屋という側面もありますが、ルーツは農家。曾祖父、祖父、祖父の弟、父と代々やってきた佐々木家には、やはり「農家を大切にしよう」という思いが脈々と受け継がれています。“農家ファースト”で、農家さん一人ひとりの収益にきちんとコミットしていこうと。商売する人と製造する人が分断されていると、例えば商売側から「もっと安くしろ」などと言って、農家さんたちの力が弱くなる場合があります。けれども、一緒にやっている農家さんが作ったお茶は全て買い取らせてもらい、僕らは販売を頑張ろうと。どうすれば地域と茶業が盛り上がるかを、農家さんと一緒に考えてきた歴史だと思います。
岩佐:ひいおじいさんとしては、地域全体の集団出世主義みたいな感覚で、今でいう組合のようなものを作ったというイメージですかね。
佐々木:そうですね。みんなに出資してもらって、一緒に工場の建屋や機械も買って。今では株式会社化しています。当時の150人のご子孫の人たちには、今では株主として、組合農家として関わっていただいています。
岩佐:理想的ですよね。法人化して、長いのでしょうか。
佐々木:今、荒茶の工場が75期目になります。
岩佐:だいぶ古いですね。株式会社となって、株式を持っていますから、うまくいけば農家さんも長期的には潤っていく仕組みがあるということですね。

佐々木製茶の工場にて
製造から販売、加工へ
岩佐:最初は製造の工場だけでしたが、今は焙煎の工場もある。最終製品まで作って売る6次産業化、一般にいう垂直統合を完成している。そこに至るまでは、どういう歴史でしょうか。
佐々木:私の祖父は1946(昭和21)年に、兵役を終えて帰ってきました。当時は、営業代行をしていただいた人も戦争で被災し、お客様がいた東京や神奈川も空襲で焼け野原になっていました。祖父は「これからは自分たちで販売していく力をつけないとお茶屋は続けられないのでは」と思ったそうです。そこで販売会社として、今ある佐々木製茶の前身となる佐々木商店を作りました。
岩佐:戦後間もなくとなると、古い話ですね。そこから焙煎工場にも投資したり。
佐々木:そうですね。「一年中おいしく飲めるお茶」を目指していたので、荒茶を保管するための冷蔵庫や冷凍庫を作ったりもしました。当時としては画期的で、祖父にとって自慢だったようです。
岩佐:今はさまざまな加工品を作っていますよね。
佐々木:煎茶と抹茶、あと紅茶も作れます。お茶をベースにした商品がすごく多いです。
岩佐:お茶は何品種ぐらいありますか?
佐々木:弊社の茶園だけで言うと大体8品種がメインです。それも組合の農家さんと「この土地ではこの品種をやってみよう」などと相談をしながら、品種の戦略も立てながらやっています。
岩佐:農林水産省の外郭団体に野菜茶業研究所という場所があります。お茶はそれくらい、日本にとって研究に力を入れてきた作物ですよね。
他の作物にもチャレンジする
岩佐:先ほどイチゴの栽培現場も見せてもらいました。「まさか掛川でイチゴをいただけるなんて!」とびっくりしました。他の作物にも挑戦する理由は何でしょうか。
佐々木:祖父の時代はお茶、特に煎茶がすごく売れた時代だと言われます。一家に一つは急須があった時代。茶葉の単価も高かったと聞きます。僕は当時を知りませんが、周囲からは「残念ながら単価は下がった」という言葉も聞きます。そうなると、お茶だけでは収入が成り立たないこともあり得ます。そのときのプランBとして、別の収益源を持つことは大事なリスクヘッジだと考えています。弊社は社員を雇って、お茶の工場で働いてもらっていますが、働き口を増やすという意味でも、お茶以外の作物へのチャレンジは昔からやっています。
岩佐:経営の安定性というか、サステナビリティの点での投資ですね。
横山:具体的な数字、売上高ではいかがでしょうか。
佐々木:年によって上下がありますが、今、グループ全体で60億円ぐらいですね。従業員数も、取引先数も増えていますので、長期的には右上がりですが、細かに見ていくと、部門によってはダウントレンドもあります。
横山:国内海外比率はどのぐらいですか。
佐々木:弊社では、まだ90%ぐらいが国内です。これから力を入れなければいけないなと思いますね。

ショップとカフェを兼ね備えた「茶の庭」も展開している
マーケットの中でのチャレンジ
岩佐:今は「お茶といったらペットボトル」のような感覚があります。ペットボトルの分を入れても、お茶のマーケットは縮小していますか。
佐々木:はい。国内消費量という意味では。お茶のペットボトルの市場規模は、ほぼ横ばいですが、それ以外の、急須に入れるお茶の消費がどんどん下がっています。ざっくりですけれど半分以下になっています。ただお茶の生産調整は効かないので毎年、同じ量が作られる。需要は減っているけど供給は変わらないとすると相場が下がっていくというスパイラルに入っています。
岩佐:それは厳しいですよね。輸出はどうでしょうか。
佐々木:伸びています。日本茶はアメリカや台湾、ドイツが多く、認知度の高まりを感じます。海外のバイヤーさんとの商談では「抹茶」「煎茶」「玄米茶」はそのまま通じる言葉になっているぐらいです。ただ海外だと機械で大量生産した安いものが欲しいというバイヤーさんも多くいらっしゃいます。
岩佐:高級茶葉マーケットの縮小は問題ですね。
佐々木:大問題ですね。一番茶、つまりは高級茶の収益で農家が得られる収入は決まるとも言われます。ですから農家さんも本当に魂を込めて一番茶を栽培してくださる。それをきちんと販売につなげ、利益を農家さんに還元していくことが販売側には必要だと思っています。
岩佐:今、JAのグループと、佐々木さんのように民間のグループは国内ではどのくらいの割合でしょうか。
佐々木:製造量で考えると民間の方が多いと思いますよ。
岩佐:そうすると6次産業化という点では、お茶の製造から最終工程に至るまで一貫して品質管理できますよね。だいぶ最終製品に品質の差が出るのではと個人的には思います。
佐々木:そう思いますね。やっぱり僕らの垂直統合のメリットはトレーサビリティーを担保できますし。畑から最終製品まで至るところまで、実験や商品開発や改善が可能です。お客様が「おいしい」と思っていただけるための実験がさまざまなポイントでできることは強みだと思います。
岩佐:これからの目標はいかがでしょうか。
佐々木:僕としては、煎茶で認知度や付加価値を高めていきたいなと思っています。ミシュランで星を取っている人から「煎茶でお金を取るのは苦労しますね」と言われたこともあります。食事の最後に出てくるお茶には、なかなかお金がとりづらい。お客様からすると“サービスのうち”というか。お茶の製造工程などのバックグラウンドをきちんと発信してこなかった業界の課題もありますし、もっとチャレンジして、業界が自ら変革していく努力が必要だろうと思います。この記事を読んでいただいている、お茶に少しでも興味がある人はぜひ一緒に働けたらなと思います。
まとめ
岩佐:私たち消費者も、お茶はタダで出てくるものではない。お茶の価値をしっかり感じながら頂かないといけませんね。
さて、最後に佐々木製茶さんの戦略ポイントを振り返りたいと思います。
佐々木製茶の農業戦略のポイント | ||
① | 100年超の歴史を力に変える | 農家ファーストの伝統が、地域の農家との団結を生み、品質向上につながる。“鉄の結束の歴史”がポジティブに働いている。 |
② | 垂直統合の真の意味を理解し経営に生かす | 川上から川下までの品質のトレーサビリティーができているため、一気通貫の強みと最終製品のクオリティの担保につながっている。 |
③ | 奇をてらわず市場の本流で勝負をする | 原則、お茶に直接つながる加工品を作っている。突飛なことはしない。それによりお茶屋である強みを最大限に発揮する。 |
岩佐:以上、3つが佐々木製茶のポイントでした。ぜひ皆さん参考にしてみてください。
(編集協力:三坂輝プロダクション)