東京湾の水質改善と資源化狙う
肥料の三要素である窒素、リン酸、カリウムのうち、価格が依然として高止まりしているのが、リン酸だ。このリン酸は、私たちの排泄物も流れ込む下水に豊富に含まれる。下水を処理する過程で出てくる泥状の「下水汚泥」には、全国で年に12万トン近いリン酸が含まれているとみられる。国内で年間に施肥されるリン酸肥料は35万トン前後なので、もし下水汚泥を全量有効活用すれば3分の1を賄える計算になる。
「東京都の場合、全国の下水処理量の約1割が集まってきます。膨大な量の下水を処理しているということは、リンをたくさん含んでいるものが東京に特に集中するということです」。都下水道局計画調整部技術開発課課長代理で汚泥処理技術担当の島田祐介(しまだ・ゆうすけ)さんがこう解説する。
都の下水処理場「水再生センター」の中でも最大の面積を誇るのが、江東区にある「砂町水再生センター」だ。都内で二番目に古い水再生センターで、1930(昭和5)年に稼働を始めた。今では近くに病院や老健施設、商業施設が並ぶが、元は広大な空き地にセンターがポツンとたたずんでいたという。
砂町水再生センターは、隅田川と荒川に挟まれた「江東デルタ地帯」にある墨田と江東の全部、中央、港、品川、足立、江戸川五区の一部から発生する下水を処理する。場内には近隣の六つの水再生センターから下水汚泥を受け入れて汚泥の大部分を焼却処分する「東部スラッジプラント」がある。

砂町水再生センターの一角に東部スラッジプラントがある
この東部スラッジプラントで、都は2024年1月からリン回収・肥料化施設が稼働を始めた。。理由は大きく二つあると島田さんは話す。
「リン回収の目的の一つが、処理水の水質を向上し、ひいては東京湾の水質を改善することです」。下水に含まれるリンが東京湾に流れ込むと、海水中の養分が過剰になる「富栄養化」で赤潮を引き起こしかねない。そのため、リンは下水を処理する段階で取り除く。
「もう一つの目的が、資源化です。せっかくリンが多く含まれるので、農業をはじめリンの調達に困っている分野で使えるんじゃないか」。こう期待する。

汚泥処理技術担当の島田祐介さん
新たな資材の開発契機にリン回収に舵
東部スラッジプラントは含水率が99%と、水に近い状態の下水汚泥を受け入れる。これを濃縮、脱水し、最後に焼却する。下水汚泥を脱水したときに取り除かれた液体が、脱水分離液だ。島田さんが説明する。
「下水汚泥を絞って出てくる液体の中にもリンが高い濃度で含まれていて、そのまま河川や海域といった公共用水域に排出することはできません。どうするかというと、もう一度下水処理の段階に戻して、また処理をします。脱水分離液からリンを回収しないとリンが同じところをぐるぐる回る現象が起こってしまいます」
水処理に高い濃度のリンが入ってしまうという悩みがあった。脱水分離液に含まれるリンを有効利用し、なおかつ水処理の負荷を減らす。そんな一石二鳥を狙って始めたのが、リン回収だ。
この試みは、国の下水道における新技術の研究開発と実用化を加速する事業「Bダッシュ(B-DASH)プロジェクト(下水道革新的技術実証事業)」に採択されている。セメントメーカー大手の太平洋セメント株式会社(東京都文京区)、上下水道大手のメタウォーター株式会社(東京都千代田区)と都下水道局の三者で共同研究している。
下水道局は2003年ごろからリン回収を検討していたが、実現しなかった。当時との大きな違いが、リンを効率的に回収できる資材の登場だ。これは、2017~2020年の都下水道局との共同研究により効果が確認されており、リンの吸着と沈降――要は沈殿――に優れている。
「従来の方法ですと、リンと資材を反応させた上で、回収するために一手間を加えなきゃいけなかったんです。例えば凝集剤を入れて、リンを塊にして沈降させるといったことですね。それがこの回収資材だと、リンを吸着してフロック(塊)を形成するので、追加の薬品が必要ありません」(島田さん)

東部スラッジプラントにあるリン回収の実証施設
重金属のリスクが低く臭いも少ない
回収を行う実証施設を案内してもらう。
まず、リン回収槽(冒頭写真)で脱水分離液をリン回収資材と混ぜ合わせ、沈降槽(冒頭写真)で沈殿させて回収。それを脱水機に掛けた後に乾燥機に入れ、粉末状のリン酸カルシウムを主成分とした肥料にする。これは肥料として登録済みだ。その成分量は、作物の根から徐々に吸収されるク溶性リンが12%、可溶性石灰15%である。
できあがった白いリン酸カルシウムの粉末がフレコンバックに詰められていた。辺りには化学調味料のような臭いが漂っている。下水の臭い、いわゆる下水臭は全くしない。

リン酸カルシウム
フレコンバックを前に、下水道局計画調整部技術開発課長(統括課長)の奥田千郎(おくだ・ちかお)さんがいう。
「臭いを嗅いでも、リン回収に使った薬剤の匂いがするだけです。夏から秋に掛けての暑い季節であっても、この匂いしかしないんです。さっき嗅いでいただいた、脱水汚泥とは全然匂いが違うんですね」
事前に脱水汚泥を見せてもらっていて、フリーザーバックに入れられたそれは、チャックを開けると同時に強めの下水臭を立ち上らせていた。
本技術の強みとして、肥料の原料にするときに匂いが気にならない点も重要なのだ。もちろん、最大の強みは狙った成分だけを抽出できること。「リンを選択的に吸着することで、重金属のリスクは非常に低くなっています。また、下水は24時間365日発生するものなので、下水再生リンもコンスタントに製造が可能なのも大きな強みです」と奥田さん。
実証を始めて以来、多くの視察を受け入れてきた。
「東北から九州まで見に来てもらっています。重金属のリスクも非常に低いし、使い勝手も良さそうで肥料として使っていけそうな品質だという評価をいただいています」

技術開発課長の奥田千郎さん
JA全農と連携し広域利用目指す
回収したリンを広域で肥料として利用する。都はこの目的でJA全農と2023年12月、連携協定を結んだ。同じくリン回収をしている自治体でいうと、神戸市や福岡市は地元のJAと協力している。やはりBダッシュプロジェクトに選ばれている横浜市はJA横浜(横浜市)とJA全農かながわ(神奈川県平塚市)と連携協定を結んでいる。
その点、都が組むJA全農は肥料の全国規模の流通を担う。
「JA全農の本所と協定を結んだのは全国初で、東京都だけ。下水の量が多いだけに、できた肥料を都と他県の境をまたいで広域的に使っていこうという意図があります」(奥田さん)
肥料は現在、都の産業労働局で栽培試験をしている。今後、農家による試験栽培を経て普及させていく。「行政なので、これでもうけるつもりは全くありません。赤字にならなければ良いので」とのこと。肥料の原料としてのコストは、現在検討を行っているところだ。

左からリン回収資材、リン回収でできたリン酸カルシウム、複合肥料の試作品
リン回収は汚泥のリサイクルにも有利
リンを回収することは、下水汚泥のリサイクルを進める上でも利点がある。下水汚泥を焼却した灰は、もともとその多くを東京湾に埋め立てていた。今はセメントをはじめとする建設資材の原料として再利用する。
「下水汚泥の焼却灰にリンがたくさん入っていると、コンクリートとか建設資材に使うには、強度とかの問題があって良くないんです。だからリンを回収することは、建設資材のメーカーにとっても、メリットがあるんですね」(奥田さん)